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 8  都電の時代

●街の景観/都電(市街電車)

都電の走る街で生まれ育ったので,私の都内地図は都電の路線図そのままであった。(道路ではなく,目的地には何番と何番の電車を乗り継いで行く・・・という地図である。)

最近になって気付いたのは都内で子供時代を過ごした同年代の方と話をすると,20番の電車が走っていたあの坂道の通りとか,10番と17番の○○町交差点のビルとか,脳裏に残っている同じ風景を共有しながら会話していることである。

(先日も理髪店で・・・「以前の店は信濃町の慶応病院の通りに面して・・・・。」「あの駅前の専用橋を渡る,細身の7番の走っていた通り?・・線路のどちら側ですか?」こんな調子である。)

街並みを見ながら,車掌さんの肉声で「次は・・・・町,・・・・町」,その停留所に着くと,再び「・・・・町」と日常的に聞いていたので,都内の地名と風景が子供の目に焼き付くのは当然である 。

都電の走っていた当時の交通体系を大雑把にいうと山手線内を都電(市街電車),山手線の外側を私鉄(郊外電車)と国鉄,それらの接続ターミナルを環状に結ぶのが山手線という役割分担になる。

(台東区や墨田区,など,下町には山手線の外側にも都電が走っていた。)

今では市街電車,郊外電車という言い方は廃れてしまったが,街と電車の関わりを明確に表している言葉だったと思う。
それは,街の景観の一部として電車や停留所がとけ込んでいるのが市街電車,駅を介して街とのつながりが形成されているのが郊外電車というイメージにもなる。

マイカーは便利な乗り物ではあるが,市街電車(都電)を失った損失は大きい。特に,街の道標(みちしるべ)になっていた停留所名(ほとんどが町名,地名,施設名 )の表示が消え,多くの乗客が走る車内から同じアングルで街を眺め,共有していた景観を失ってしまったのは残念である。

都電は徒歩に近い感覚があり,歩いて通った道や町は忘れないが,車で通り抜けた所は記憶に残らないことに通じるものがある。

街の道標/都電<停留所>

都電停留所と「あの日の事」が重なって記憶に残っている。たとえば,<万世橋停留所>はものづくりに関連して思い出すことが多い。

この停留所は通過系統が最多の<須田町停留所>(都電の最盛期には須田町交差点を10系統もの電車が通過していた。)の隣の停留所で,近くに交通博物館,ラジオデパート,ラジオセンターなどがあって都内でも有名な停留所の一つであった。
秋葉原電気街

戦後,
<淡路町停留所><小川町停留所><神保町停留所>界隈には真空管をはじめとする無線部品の露天商が店を並べていた。この露店が廃止されて秋葉原に移り,無線部品商の街「ラジオ街」が生まれた。その後,この街に家電の量販店が次々に開店し現在の「秋葉原電気街」に姿を変えている。

交通博物館

小学生の頃から交通博物館によく出かけた。巨大な機関車や車輌部品,信号機,保安・防雪施設,軌条設備,精密な大型車輌模型,・・・・私が鉄道模型にのめり込むきっかけであり,より実感的で,より精密な模型に強く惹かれるのはこのとき,現物を具に見た影響が残っているのかも知れない。
(展示物の一部は50年後の現在もまったく同じ場所に陳列されている。右写真:神田川側から見た交通博物館。旧・万世橋駅。上を中央線電車が走っている。)

小学6年になると交通博物館主催の「少年工作教室」に通った。鉄道車輌を作ることは無かったが,1日をかけて1作品を完成させ幅広く様々なものを作った。
(後に知ったことであるが,誠文堂新光社の少年技師ハンドブック「蒸気機関車の作り方」の著者,田口武二郎氏が指導に当たられており,私もご指導を受けていたようである。)

東通工

ビルが建ち正確な位置は分からなくなったが,ラジオセンター横の更地に屋台を少し大きくしたような簡易な店舗が出現した。そして,この店には生まれて間もないテープレコーダーの部品が並べられた。
当時の社名は東京通信工業(略して東通工),現在のソニーの店である。
モーターとヘッド,キャプスタン,フライホイール,ゴム車,ゴムベルト(名前に記憶違いがあるかもしれない)をこの店で購入した。
開放試作室

都電17番の終点<数寄屋橋停留所>の1つ手前,<有楽橋停留所>で電車を降り,東京都電気研究所・開放試作室に夏のカンカン照りの中を連日,箱や部品を担いで通った。
このときの配線図は「子供の科学」に5cm程の囲みで載っていた参考程度のものであり,今考えると無謀に近い製作である。それでもなんとか1台のテープレコーダーを完成させた。

開放試作室:
子供の頃で正確な事は不明だが,東京都が戦後,中小企業や町の発明家のために工業試作品を作る場を提供していたのだと思う。年齢制限(16歳?)に引っかかりそうな子供も仲間と認め,「何を作っているんだ?」と声をかけてくれる年配者が多かった。一昔前に流行の点滅するクリスマス電球を試作している人もいた。

話が脱線したが,都電の停留所は何百という数があったと思われる。目的地の最寄の停留所名を目標に,車掌さんに順路を聞くと,「○○停留所で降りて,□□番に乗り換えなさい・・・」などと行き方を教えてくれた。

<万世橋停留所>
だけでなく,多くの停留所に思い出が詰まっている。都電が縦横に都内を走っていた時代のことである。
2005.4.記

交通博物館は2006年5月,閉館しました。
(2006.8.追記) 

 

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