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 5  国鉄最後の日

1987年3月31日,TVで正午のニュースを見ていると東京/汐留で「国鉄最後の日」というイベントが開かれている様子が映し出された。

これは急がなければ,と食事もそこそこに親子2人で新橋へ向かった。

新橋駅から少し離れた会場はかなりの混雑で国鉄に愛着を持つ鉄道ファンの熱気と共に寂しさも感じさせる会場であった。

(右写真)会場に展示された C56型160号機,夕暮れ近くなり人影も少なくなり始めている。

会場を一巡後,鉄道部品販売コーナーの列に並び,しばらく待って中に入ると各種プレート類,鉄道員用のグッズ,取り外した車輌部品等,様々なものがいっぱいに並べられている。

一番の人気はプレート類で,多くの人が盛んに品物を確かめている。そんな場内で人影もまばらな一隅があった。そこで思いがけない宝物を見つけた。
まずはじめに腕木式信号機(東北線で使われていたもの )
続いて色燈式信号機(4現示式)
入換標識(きのこ型,ポイント付近 の地上に設置 されている)
赤色警報燈(踏み切りで点滅しているあの電燈)
出発合図器(ラッパ型のブザーと合図燈で構成 ,ホームの天井から下がっている)
等を選び購入した。

(左写真)信越線中軽井沢駅前にある腕木式信号機。これと同型を購入。ただし,柱は無し。柱を作る時の参考にするために撮影。
現物はいずれも巨大な”鉄の塊”で,総重量が200kg近く,すぐには運べないので,一旦,東京駅の倉庫に戻していただいて,翌4月1日(国鉄はJRに変わった)八重洲南口の地下で受け取った。

この販売を担当されていたのが国鉄清算事業団にまわされた方々でなかったのかと勝手に考えている。新聞紙上にはこのことについて様々な記事が載せられていた。

「国鉄最後の日」に至るまでの経過で,責任を取るべき人は国鉄で働いていた人ではない。
モータリゼーションの到来とはいえ,無責任な交通政策,利益誘導のための無理な路線拡張,それらのツケを働いていた人と国民が払ったと思っている。

鉄道の優れた長所(エネルギー効率,自然環境への負荷,誰でも使える身近な足,他)を国民のために生かす知恵があったとは言えず,国鉄をJRに変えれば何とかなると考えていたのだろうか。釈然としないものを今だに持っている。(その後もJRによる廃線が続き,赤字であれば生活の基盤である路線バスでさえ廃止される時代になっている。)

国鉄とは鉄道の代名詞と思っていた私としてはこの日は面白くない日でもあった。購入した機器は戦後復興を土台から支えた日本国有鉄道を記念する品でもある。

2004.10.記

 

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